2006年09月03日

9月3日サイトオープン!

2006 AUTUMN
「MOVIE」の様々なジャンルに挑む
Shout new project
『shout+image BUZZ』

buzzdesign-のコピーnew.jpg

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2006年03月18日

ブロークバック・マウンテン

bbm_embrace.jpg

『物事には「曖昧さ」が必要だと理解しているアンに興味を持ったの』

とは、劇場パンフレットに載っている対談集で、ラリーン役のアン・ハサウェイが、監督・アン・リーについて語った言葉。

僕は、この言葉が大好きだ。

ここで言う「物事」とは、「劇中の現実として描かれる物事」だと思う。

何故?劇中の物事に「曖昧さ」が必要なのか?

それは、実人生がそうだからだ。
実人生こそが、「曖昧」だからだ。

好きだけど嫌い、嫌いだけど好き。
欲しいけど欲しいと言わない。大して大事じゃないものを必死で求める。
愛しているのに殺す。殺してたのに愛してる・・・。

1+1=2、以外に無数の答えが存在する。

これは、実人生を生きる大概の人は、「経験則」として理解している。

しかし!これがこと映画や芝居となると、それを大前提として描かれることはあまり無い。

ほんとにそのことに共感し、実感し、それでこそ人間は素晴らしいと謳った作品のなんと少ないことか。

そしてその少なさ故、
劇中「ひと夏のブロークバック・マウンテン」が終わった後、あくまで素っ気無かったイニス(ヒース・レジャー)が、突如、路地に入り込み「慟哭」するシーンのなんと深いことか。
そしてこの「慟哭」は、最期まで相手役・ジャックは知ることはない。

それで言えば、今年のアカデミー作品賞作品「クラッシュ」にも、似たセンスが現れる。
マット・ディロン演ずる人種差別主義者である警官・ライアンは、
愚劣な黒人差別者だが、確実に「事情」がある。
彼が、一晩中便所に座りっぱなしの父親の肩に手を置くシーンは、劇中の他のどの人物も目撃することは有り得ない。

イニスの「想い」とライアンの「事情」。
そう、それが人間だと思う。

そして、繰り返しくどいが、それを大前提とし、真っ向から向かい合った映画の何と少ないことことか。

ところが、相変わらずそういう作品の数が少ない中で、近年のアカデミー賞は「許されざるもの」やら「ミスティック・リバー」やら「21g」、「ミリオンダラー・ベイビー」とか、
人間心理のの「表に出ない側」に目を向けた作品を強烈に支持しているように思われる。

映画や芝居の役割が変わって来ているのか?
それは多分、見る側がいる世界が変わって来ているのだと思う。
もう来るところまで来ているのかもしれない。
単純なストレス解消では、「あまりにも刹那」、もっと本質的な救いが欲しい、と実は皆思っているのでないのか。
勿論、それと逆方向の動きも、どちらが「反動」なのか知らないが強まっていることも、日本でも日々ヒシヒシと感じられる。

単純な「二極対立」など、もう沢山だっ!と、実は皆が思っている。
全ての人間は「想い」を抱え、「事情」がある。
それをまざまざと見せられた時、人は救われる。
自分の「想い」「事情」を他人に伝える正当性と意義を感じられる。
イニスとジャックはぶつかり合える。
ライアンはそれでも、爆発寸前の車に飛び込む。
そして抱き合う。

だが、それは長くは続かない。

それでいいんだろう。と言うか、それしかないのだろう。

だけれど、「ブロークバック〜」の原作者、アニー・プルーは更に曖昧さを「追い詰める」。
映画劇中ラスト、イニスの「I SWEAR・・・」という台詞。
日本語訳は「永遠に一緒だよ・・・」と、かなり、映画的意訳になっている。
その日本語訳を抜きにしても、「I SWEAR・・・」と、
言えば、「ついにイニスが気付いた」=「一極化した」(かも・・?)と匂わせるラストにしているが、
原作では、
「・・・だが、アイツは誓うような奴じゃなかった・・・」と続けるらしい。

どこまでもどこまでも曖昧。



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2005年04月21日

恋人までのディスタンス

koibitomadeno.jpg
という、恥ずかしいタイトルの映画。

原題は「BEFORE SUNRISE」。
夜が明けるまで、といったところですかね。

ヨーロッパの長距離鉄道の中で偶然出会ったアメリカ人の男とフランス人の女が、
ウィーンの街で途中下車。
翌朝には二人とも国に帰らなくてはならないので、ウィーンの街で一晩限りの時間を二人で過ごす、という話。

貧乏な二人は豪勢な夜など望むべくもなく、仕方なく二人で街をうろつく。
そして、うろつきながら、ただ唯「話をする」。
場面を変えながら、二人はひたすら「話をする」。
路面電車のなかで「輪廻転生の話」、裏通りを歩きながら「男女論」、安バーに行って過去の恋愛話、幼い頃見た幽霊の話、祖父母の話、気に食わない政治家、・・・。
二人は延々と「話をする」。

アメリカ男は、イーサン・ホーク、フランス女は、ジュリー・デルピー。
ステレオタイプなイメージに反し、
本と哲学を愛する皮肉屋のアメリカ男に、フランス女は恋愛にも真っ直ぐでロマンチスト。

この二人が90分間、織り成す会話がこの映画の全て。
時にユーモラスに、時にしんみりと、時に熱く、皮肉っぽく、ロマンティックに、希望を感じつつ、絶望しつつ「話をする」。
ベタな観光名所は登場せず、「裏ウィーン」といった装い。

大好きなシーンがあります。
前半、列車内で偶然であった二人は、食堂車で「話をする」。
お互いに魅力を感じてはいるが、所詮は行きがかりの旅人同士。
ウィーンで降りるという男と目的地は先の女。
互いに微妙に言い出せないタイミングで、列車の停車時間はあと僅か。
思い切って言い出した皮肉屋の男は

『これは未来の君が、過去である現在にタイムスリップする旅なんだよ。
 何十年後かの未来、君は結婚している。子供もいるかもしれない。
 それほど幸せって訳でもないが、それほど不幸ってわけでもない。
 そんなある日、君はふと思うんだ。
 
 ・・・ 何十年前かのあの日、あの日に出会ったあの男、あの男の誘うままにあの列車を降 りていたら、一体どうなっていたのかしら・・・

 ってね。そして君は続けてきっとこう思う。
 ・・・あの時降りていたら、今とは全く違う人生が待っていたのかしら・・・。
 
 その空想を今、実際に試してみるんだよ。
 「あの時のあの男と」、つまりこの僕と一緒に、今「列車を降りてみる」のさ。
 
 どうだい?刺激的だろう?』


どうでっか、これ?
「日本的感覚」からは遠いですよね。
でも、どっか魅力を感じてしまいましてね。言いませんよ、実際には言いませんけどね。

そんな台詞が沢山たくさん出てきます。

先日、10年たって続編が公開されました。
「BEFORE SUNSET」。見たいなぁ。

恋人までのディスタンス

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2005年04月16日

ソラからの伝言

book_soraden.jpg 

石が昔、柔らかかったと聞いたらあなたは驚きますか?
かみそりひとつ入らないという石で出来た建造物がありますね。
あれも、石が粘土のように柔らかかったと考えたら、あー、そうだったのかと納得
してしまいます。

私が昔、ニューエイジ系の本を読み漁っていたときに、そういうものは間違っている
と気づかせてくれた本が、この「ソラからの伝言」でした。
普通の主婦の、カヨコさんという方に2002年に突然イシカミという存在が降り立ちました。
イシカミとは、かつて地球に人間を連れて来た存在です。
世界中の巨人伝説はこのイシカミです。巨大わらじを祭っているのもイシカミへの
感謝の気持ちをあらわすなごりです。
それまでの歴史はすべて間違って報告されており、教科書に書かれたことだけを
読んでそれを信じているのは危険だというのも伝えてきました。

地球や、花や、木や、すべての生き物には「イシキ」があるということをイシカミは
必死に伝えています。
どうして人間がこの世に生まれてきたのか。
宇宙はどのように出来たのか。
そして、間違った情報とは何なのか。

誰かをあがめたり、ものを信仰したりするのをイシカミはとても嫌がります。
私はこの本を読んで一切のオカルト本やニューエイジの本から手をひきました。
自然に感謝して生きること、私たちが生かされていることに改めて気づきました。

この本は宗教だとかバッシングもありますが、決してそうではありません。
むしろ、あがめ奉ることを、否定しています。
ただ、原子にもイシキがあることを知ってほしい、それだけです。
地球はただのマントルのかたまりではなく、ちゃんとイシキがある、それを認めて
ほしいだけなのです。


この本を読んだあとは、空が色々なお知らせをしてくれるそうです。
雲の不思議なかたちや、夢、そしていろんな形で。とても可愛いです。

もし興味があったらサイトもあるのでのぞいてみてください。
http://sora.ishikami.jp/
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2005年04月14日

「つれづれノート」 銀色夏生 <聖子>

turedure.jpg 
作家のエッセイは面白い。得体の知れない生活なんじゃないかといつも思う。
私が始めてエッセイを読んだのは山田詠美であるが、彼女もまた「熱血ポンちゃん」シリーズでたいそう面白いエッセイを書いていた。その正直に生きている姿に惹かれ、すべてポンちゃんシリーズは読破した。

ところで、銀色夏生。彼女のことを知ったのは、中学生のときだろうか。詩集を出していた。それを読んでいた同級生がいて、「すごくいい」と勧められたが、当時読む気はしなかった。写真は綺麗、そう思っていた。
ところが大学時代に思い出して銀色さんの本を探していた私。そこにつれづれノートシリーズを発見する。

あけてみてびっくり!え、この人女性だったの?しかも子どもの写真とか出してるし。しかも、わりと歳いってますけど。
なんて一気に毒舌が・・。しかし、そこで思ったのは銀色夏生という女子高生たちが崇拝していた存在が、生活感丸出しのエッセイを出しているということ。面白いじゃない、読んでみよう。それからはまってしまった。

まさにつれづれという言葉がぴったりの日常を淡々とつづった日記である。その随所随所に、彼女の哲学が垣間見える。この銀色さんがハッときづいた哲学を読むのが最高に面白い。所々に感じるユーモア(ナンシー関っぽい芸能ネタもあり)もまた、笑ってしまうほど。絵は下手です(笑)

もうこのシリーズは人気で、12巻まで出た。その間に銀色さんはバツ2となり、子ども二人をかかえて宮崎に家を建てた。思いついたらの行動力もまた、爽快である。わたしもいつの間にか12まですべて揃えてしまっていた・・・。しかも詩集にまで手を出している。このはまりよう・・・。銀色さんと私は違うタイプだけど、でも共通する部分はある。人に対してのこととか。この本を読んでから、新たにまた作家のエッセイを漁っている。遠藤周作さんとか・・・。


                                                           
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「変身」 カフカ <真寤>

kafuka.jpg「ある朝、グレゴール・ザムザが何か気がかりな夢から目をさますと自分が寝床の中で一匹の巨大な虫になっているのを発見した」、というアレです。
第一次大戦直前のドイツの精神的荒廃を象徴する作品などと評されているが、そのストーリーと同じく、扉の向こうにひそむ巨大な暗闇をのぞき見る様な作品です。そして、一度、その暗闇の正体を知ったら最後、後戻りすることは出来ない。

 それは、虫になったグレーゴルの家族にのみ言えることではなく、読み手さえも一度この「変身」という暗闇の正体を知った以上は後戻りはできない。そのくらい、この物語の深淵は深い。
突然の奇怪な不幸に襲われたグレーゴルに同調しながら読み進むが、物語が結局不幸な形でしか解決されない現実をつきつけられると、僕は即座に自分の感情をグレーゴルからグレーゴルの家族へと乗り換えざるを得なかった。自責の念や、罪悪感などには、ほっかむりをさせて、グレーゴルを見捨てるしかなかった。
「グレーゴル」という暗闇には永久にフタをしてしまう。忘れて逃げる他に方法はない。

しかし、それは完全な解決には、決してならない。
「グレーゴル」から解放されるということは、すなわち。「グレーゴルを見捨てた自分」と永久に付き合わなくてはならないということだからだ。

                                              
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「ボウリング・フォー・コロンバイン」 マイケル・ムーア  <真寤>

boring.jpg昨年のアカデミー賞授賞式で、マイケル・ムーアは「恥を知れ、ミスターブッシュ!!」と絶叫し、一躍その名を世界に轟かせた。そして「アメリカ白人」を「アホでマヌケ」と断罪した本がバカ売れした。
 いかにもアメリカ人ぽい風貌とは裏腹に発せられる過激なアメリカ批判。マイケル・ムーアは自らを「ド派手にぶちかます男」としてメジャーマーケットに乗せた。このマーケティング(?)がなければ、この作品がレンタルビデオ屋で、「今、人気No.1」になることはなかっただろう。そして、作品もそのやり方で作られていた。


 アメリカの銃社会問題は、社会構造・法システム・人種問題・貧富の格差などが複雑にからみあった問題であると、アメリカ建国の歴史までさかのぼって説明しつつも、その歴史を「ビービス&バットヘッド」ばりのアニメーションで説明したり、末端である町の警官に、いやみったらしく銃社会問題の解決をせまったりと、客の目を引く術をわきまえている。
 しかし、そのやり口に引き込まれ最後まで見終わったとき、そこにあったのは常識的な一市民が、真摯に銃社会の改善を求める良心的なドキュメンタリーだった。自分達の弱さを認め、少しづつでも改善を伝道したがっている作家の姿だった。


この作品にはチャールトン・ヘストンが出てくる。かつての「アメリカの強さと良心」を象徴する男。彼は今、NRA(全米ライフル協会)の会長を務め、コロンバイン事件の直後、その当地で大会を催し、「死んでもこの銃を手放さない!!」と宣言した。ムーアはヘストンに直接インタビューを試みる。ムーアの巧みな誘導尋問にヘストンは「弾の込められた銃がないと、不安で仕方ない」と吐露する。
この「アメリカ白人の不安」こそ、ムーアが、作品冒頭から指摘していたものだった。年老いた「アメリカの強さと両親」が吐露した「不安」。詰問され、しどろもどろになったヘストンはついに質問を無視して立ち上がり、上半身を少し上に傾け、狭い歩幅でヨチヨチと奥の部屋へ引っ込んでしまった。それはどうしても「不安」を拭い去れない「老いたアメリカ」そのものだった。


ムーアは追い討ちは、かけなかった。それは「単なるストレス解消な言葉は、銃をぶっぱなすのと同じだ」ということの様にも思えた。

                                              http://www.shout-enter.com/
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「人斬り剣奥義」 津本陽  <真寤>

hitogiri.jpg
僕は時代小説が好きだ。高校時代、司馬遼太郎を読んで以来好きだ。
しばらく司馬さんにどっぷりつかった後、何人かの作品をつまむようになりました。

で、今回は、初めての津本陽さんというわけです。
のっけから「人斬り剣奥義」と物騒なタイトルを選んだのは、撃剣描写が素晴らしいとの、
時代小説の達人タクボ氏からのお勧めの言葉の為であります。

読んでみて納得。津本さん自身剣術家であるという見識と実地体験に基づいたリアルでライブな撃剣対決に血湧き肉踊らされてしまうのです。
そしてそのリアリズムの底に流れる歴史上の剣客達へのロマンティシズムが遥かなる「剣術奥義ファンタジア」に私を誘うのです。

いや、単純に興奮しますよ。
特にこの本では薩摩藩にて興った「示現流」の使い手が一杯出てきます。津本ワールドではこの示現流剣士達はほとんど音速に近いスピードで動き回り、刀を「抜き・即・斬」なのであります。相手が30人いようが弓を持っていようが鉄砲打ってこようが超人的パワーとスピードで有無を言わせず全員を袈裟切りにしてしまうのです。しかもみんなスカッとしてんだな、性格も。なんだか鹿児島に行ってみたくなっちゃいましたよ。
でも・・・鹿児島ってコシマ君の地元やなぁ・・・。ふーん。           
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